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仏の教へたまへることあり。
「心の師とはなるとも心を師とすることなかれ」と。
まことなるかな、この言。
人、一期の間に思ひと思ふわざ、惑ひにあらずといふ事なし。
川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて
久しくとどまりたるためしなし。
思ひはうたかたのごとく、この身は死にがたし。
われら煩悩のともがら、住み住みて、
幾つの世を過ぐすにやあらむ。
他界は常に眼前にあり。
常なる世に常なき思ひを生きて
この身ひとつ消え失せぬこそあはれなれ。
長きかな、この生。
難きかな、一筋に生きおほすこと。

【訳】
仏がお教えになったことがある。
「心の師とはなっても心を師としてはいけない」と。
真実であることよ、この言葉は。
人は一生を過ごす間、思うことすべて迷いでないものはない。
川の流れは絶えないで流れ続けるが、同じ水が流れているのではない。
淀みに浮かぶ泡は、消えては出来て、長くとどまることがない。
思いは泡のようにはかなく移り変わるが、
この身は死にがたく、消えにくい。
われわれ煩悩の俗輩は、とどまり続けて
幾つの世を過ごしてゆくのだろうか。
他界は常に目の前にある。
常なる世に無常の思いを生きて、
この身ひとつ消え失せないのが、しみじみすることだ。
なんと長いことよ、この生は。
なんと難しいことよ、一筋に生き通すのは。

【語句・文法】
一期(いちご):一生
かつ~かつ~:~し、また一方では~し。~しては~し
過ぐすにやあらむ:過ぐす(サ行四段動詞・連体形)に(断定の助動詞「なり」連用形)や(係助詞・疑問)
        あら(ラ変・未然)む(推量の助動詞・連体形)
        過ごすのだろうか

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